ふなばし現代アート展 第8回 アラカルト
アーティストトーク アーカイブ
絵を入れる箱と、16の絵
中学1年生のとき美術部に入って、夏の合宿に参加しました。
長野県の乗鞍岳を描いたのが初めての油絵でした。
大学受験をするための予備校時代、自分の画風やモチーフを模索する中で、船橋本町から
自宅の古和釜へ帰る道すがらの風景を描くようになりました。
大学時代の制作でも、夜景や黄昏時、薄明の頃合いの風景をモチーフとして扱いました。
自他の境界が曖昧になる時合いに惹かれていました。
同時に身近な人物、自画像、故郷や生家についてなど、環境と人との関係性について関心を持ち始めました。
2015年、2020年の2回の大きな個展では絵画と場所を通じて私を再構築するような制作を
行いました。
私が私に抱くイメージ(絵)を解体し、あらたに場所を取り込んだ私を構築するような試みでした。
それは私という時間の連続性に介入する試みでした。
私には、絵がどこか別の時間や場所から今にふいに現れるものの様に感じられます。
私が現在の私として認識できるのは、その副産物であるように思うのです。
ここ数年、スケッチブックを片手に小さな絵を描くことを大切にしています。
山へ星を見に行ったり、自転車に乗って川沿いを走ったりしながら、私の身体が様々な光を受けるのを観測しています。
次の大きな展示までに、今は絵について深く考えたいと思っています。
本展出品作品は2020年11月から2021年3月にかけて制作した小さなドローイング群と、2021年5月に制作したドローイング作品です。
小さな作品群は額装され、一つの木箱に収納できるようになっています。
これは本棚のように絵を納めたいという発想からきています。
箱のなかで絵は一列に並び納められます。それは様々なイメージ(記憶)のレイヤー(層)です。
私はそれを時々引き出したり、思い返したりします。
1枚1枚であり、なおかつひとつのイメージの塊であるような、ある種の模型です。
日々の小さなドローイングが、未来にある別の大きな作品と結びついている予感がします。
まるで小さな種が、いつか蒔かれる日までしまわれているような。
その小さな種の中には、巨木へ至るための設計図が収まっています。
2021/8/8



〈絵を入れる箱と、16の絵〉 2021 紙にクレパス、パネル、合板