石神雄介 “ C a l l “ スタジオ35分 2022/10/12 - 2022/11/5
夜の湖畔が好きだった。
蒸した草むらの匂いも、何処からか鳴く生き物の声も、街明かりに紛れてかすかに瞬く星空も。
取りたての運転免許で、夜な夜なまるで呼ばれるように通ったものだった。
時がたち気がつくと、友達や先生や教え子たちが、海で、川で、湖で、いつの間にか皆、いなくなった。
私はますます水際に立つようになった。
チャプチャプと波打つ音の間に、知った声が聞こえて。
サワサワ揺れる木々の影に、ふっと姿が現れるような。
今もそうして呼ばれるように、夜の道を走らせる自分がいる。
いなくなってしまったものたちは、時折ひどく永遠や運命を思わせる。
”いない”ということが、ゆえに"いなくならない"ということと表裏一体だと、いつも思い知る。
確かにそこに、その時やその光があったことを、不在という状態は囁きかけてくる。
私は絵を描くときいつも、どこかズレた隙間に落ちている。
アトリエはいつかも知れない、どこかも知れないところにあって、私はそこで何かが囁く声に耳を澄まそうとする。私は感じたり感じなかったりしている自分の領域を見ている。私はその声に呼ばれるまま、ふいにいなくなったり、聞こえないふりをして留まったりしている。
2022/7/15 石神雄介
Call
制作ノートより
2022.May
さあ、絵を見に来てくれ。
僕の知っている、彼らに会いに来てくれ。
彼らについて話そう。
あの場所を想おう。
いつまでも記憶の片隅に彼らのための場所をつくろう。
13年前、大学二年生の時に構想した作品"八つの輪郭"。自己と他者の関係、縁起を形作るという展示構造だけが決まっていたが、当時はそこにどのような絵を描けばよいのか分からなかった。今ここに来てやっと、最近描いている絵がそれだと気付いた。空間や構造に頼らず、絵に向き合うと決めてから3年。かつて解決できなかったことがその糸口を見出そうとしている。一度離れたと思っていた事に、突然繋がる驚きだ。しかし全てが繋がっているのは、そりゃあ当たり前だ。ずっと考えていることなのだから。それを考え続けているのが、私なのだから。
死を見つめることは、同時にどうしたって生に開かれていくことだ。
何度でも憧れて、何度でも模倣するがいい。
かつて誰かがやった事を、今あなたがするから、それが唯一性なのだ。
私たちの繁殖だって遺伝子を掛け合わせて模倣して行われている。
オリジナルであること、ユニークであることにこだわるのは人間社会の病理だ。
繰り返しの中に現れる"振れ"に、ほんの少し新しさが生まれる。
所有とか権利とか、そういう我が身の一回の生に固執する考えが、芸術を貧しくするのだと思う。
途方もない妄想の共有
検討してきたあらゆる構成を、一枚の画面に落とし込むにはどうしたら良いのか考えてきた。それは、図像を重ねたり統合するのでなくとも実現すると思った。マチエール、色彩の選択、具象性の調整で十分絵画的だった。
批評は批評家に任せる。
私が語れることは作家として日々思うことだけだし、始まりから終わりまで主義主張は一貫しているはずがない。意見は常に変化する。緩やかにも、速やかにも。
アニメやマンガをモチーフにする、故人や家族、ペットをモチーフにする、美術史を参照する、社会風刺をする、事件や災害を扱う、人種や性差を扱う、人体やそれを取り巻く環境を考える…
といった、モチーフをこれと決めて限定する行為、それが美術教育を受けた痕だと感じる。これを描いて"教養のある鑑賞者"に"価値ある作品"として受け入れられるかどうか?を考えて制作するようになったら、それは文化的であろうとすること、高尚でいようとする指向性だ。
古来から人は絵を描き、世界を作り続けてきた。人を描き、人を作り続けてきた。語り、謳い、踊り、奏で、描き、捧げてきた。
俺は暇潰しのゲームで絵は描かない。
遊戯とは、もっと大切な交流、運命の流れを受け入れる儀式だ。全ての遊戯に定めがある。魂と器がある。
描かなければならない絵が、頭の中に渋滞している。私が描かなければ、誰にも描かれず消えていく絵が。
それが記録のようなものであれ、創作した物語のようなものであれ、別れの儀式のためや思慕の念の断片であれ、変容を促す装置のようなものであれ、描きたい絵はいつも何かしらあった。
生きたい、描きたいという思い・情熱が消えそうなときは、いつも顔の見えない大人たちが作った常識に押し潰されそうになっていた。
2022.June
34歳になった。
今日も朝から絵を描いて、少し失敗したかなと思って、いいやこれが今の実力なのだと思い直した。夜はひとの絵の相談にのる仕事をした。もうかれこれ10年以上続けている。でもずっと難しいままだ。年々描きたい絵は増える。そして私は有限であることを日々実感する。
20代の頃は何を描けばいいのかわからなかった。自分が描きたいものはどれも、何だかちっぽけで恥ずかしいもののように思えて、ためらわれた。しかし潔癖だった私は、自分の人生と何の接点も感じられない美術史を礎にして絵を描こうとも思えなかった。
30代まで生きて、描かなければならないものが増えた。望むと望まざるとにかかわらず、描かなければならないという責任感が伴う事物が、私と不可分なものとして人生に絡みついている。今になってやっと、描かされるのではなく自らの意思で描くことができているように感じる。
私はピカソともデュシャンとも会ったことも話をしたこともない。岡本太郎とも荒川修作とも、会ったこともなければ話をしたこともない。人は孤独だ。しかし美術や絵画は孤独を癒してくれるものではない。僕らはただそうするほかなく、ただ描くしかなく、描いている。
技術に裏打ちされた、魂だ。
本来物語で無いものまで、物語にしようとする。時間は、古今東西の人が大好きなものだ。
美術の先生から貰ったイーゼルと絵の具
哲学の先生から貰った車
叔父から貰った靴と服
上司から貰った冷蔵庫
知人に買ってもらった絵、絵、絵。
妻に貰った居場所
赦されて、描かされて、人は生きる。
どこかに世界の真理や正義があって、全ての人がそれを分かち合うことができるという共同幻想を抱けるような希望の時代は、はっきりと終わりを迎えている。
明らかに、10年前よりも世界は悪くなっている。
嘘はつかないが、仮想現実は作る。
私の画家としての仕事は、次の世代に吸収されていく養分のようなものだ。
絵を描く僕の心にあるのは、深い深い絶望と孤独だ。
私の場合、絵を描きたい気持ちの時期は人の作品を見たいと思わない。
反対に絵を見たい時期は自分の制作をする気にならない。
あきらめず、毎日コツコツと、焦らずに、ゆっくり、でも確実に前に進めよう。
日ごろはどんなに怠惰でも、絶望的に気が滅入っていても、絵の前に立てば、最善を尽くそうともがくものだ。
偽っても仕方ないので、言うが、本当に絵画にしか興味がない。絵画的でないものに、関心がない。
心が荒んでいる。ざらざらにささくれ立って、素直に映らない。そこに何の像も見えない。絵が見えない。
そういうときもある。そういうときに、それを誰かに絵にして貰えたら、きっといい。そういう友人がいたら、すばらしい。
知覚に関心があり、絵画が好きだ。
私はアートに親しみがない。
絵画をアートのための手段として使用することは出来るが、絵画はアートそのものではない。あらゆる政治的な駆け引き、文化的なレトリック、社会ネットワークの構成要素としての人間を扱った作品には、さしたる興味は無い。
しなやかな命綱だ。
これは見なければならない、どうしても見たい、そう思える絵を描かなければならない。
また見たいと、願える絵を描かなければ。
自分ができることと、与えられた条件の間で最も美しいバランスを見つけなければならない。
絵の写真や映像を見て、それから実物を見ると、たくさんの違いに気づく。私たちの体は印刷物や電気信号と、絵の具の違いをきちんと感じている。また、多視点から見た像を私の内部で統合して認識している。それによって絵の解像度が上がっていく。だから絵画は、私たちのそのような機能を思い知らせる。
恐ろしいことに、どこかで見た誰かの言葉を、いつの間にやら、さも自分のものであるかのように使っている。私の思考や心など歯牙にも掛けないで、私の体と脳髄は、いつだか吸収したものを吐き出したり、誰かに照射されたものを反射したりしている。
私は幾人もの誰かの寄せ集めだ。
何か表現しようなんて思ったことがない。
絵が描きたかっただけ。絵の具をいじりたかっただけだ。描かなきゃいけないものがあった。沼、祖父母、自分だ。
とても無力だ。とてもとても非力だ。
私たちが生きるのは巨大な搾取の中だ。
絵画で権力の狂気を正せるはずもない。
ましてや私個人など何の力もない。
私はむしろ力に擦り寄り、頼りきり、正義の無い場所で、人間への誠意だけを頼りに生きようとしている。惨めだ。
言葉だけでは何も変わらず、絵など取るに足らない。カフェインと砂糖の麻薬で五感を麻痺させて、痺れるままに歪に歩く人形だ。
熊谷亜莉沙の個展を見て、思い出したのはロス・ブレックナーだった。生涯を通して共通するモチーフ。そのすべてが個人的な人生観に連なっていること。そしてそれが個人の底を突き抜けて、普遍的な強度を獲得していること。
僕はどうかと言えば、絵画として、像の現れも技法ももう少し流動的だ。生死、自他、感情や人間の輪郭について、象徴を扱わずにいる。西洋的でなく東洋的な気もする。
しかし感動と共に胸に深く刺さったのは。
心の上澄みを掬った綺麗事で絵を描いてはいけないという事だ。自身の見たくない部分も、深く見つめなければならない。
そうして心の奥深くでいつまでも抜けない棘のような、どうしようもない疼きと共に生きなければならないものを、受け入れなければならない。
ココアを終わりなく愛し続ける。
寂しさや惜別の想いからでなく、死を受け入れた者として。
そして再び出会う場を作る。
新しい墓だ。
メタバースで、データ化した故人に会うとは違う。
私たちはかつての彼らに会うのではなく、また新しく関係を構築する。
涙が出てきそうだ。
無力感に満ちている。
誰にも何も変えられない。
形式とは作るものだったろうか?
勝手に生まれるものだったり、仕方なく残るものだったり、突然はたと気づくようなものではなかったか。
しかし、それよりもまず、自分の仕事のあるべき姿とは?
気に入らなくて排除した可能性たちや、どうしても手に入れたいもののために、自分がとれる最善手。
見ようとするが、見えない。
近づきすぎても、離れすぎても、掴めない。
ふわふわと曖昧な感覚の中に漂うときが、最も近い。見えてしまうと、遠ざかってしまう。少し目を逸らして、気配だけで捉えようとすると、これが存外にいい。
現実の風景のなかに、私の過去のすべてが見えている。私の未来の、想像の断片が見え隠れしている。私の景色は、私そのものとして眼前に現れている。
私は何を共有しているだろうか?
私が見聞きして、伝えようとすることは、果たしてあなたと共有できるのだろうか?
夜の湖畔が好きだった。
蒸した草むらの匂いも、何処からか鳴く生き物の声も、街明かりに紛れてかすかに瞬く星空も。夜な夜なまるで呼ばれるように通ったものだった。時がたち気がつくと、友達や先生や教え子たちが、海で、川で、湖で、いつの間にか皆、いなくなった。
僕はますます水際に立つようになった。
チャプチャプと波打つ音の間に、知った声が聞こえて。
サワサワ揺れる木々の影に、ふっと姿が現れるような。
今もそうして呼ばれるように、夜の道を走らせる自分がいる。
2022.July
一日の仕事を終えて、自転車に乗り帰る。
深夜、何気なく横切るいつもの景色が、視界の輪郭の端でブレる。それはオレンジ色に発光しているように見えた。振り返ると、木の葉が街灯に照らされて揺れていた。何の変哲も無く、至って普通の光景だった。あの違和感は何だったのだろう。私はふらつきながら、自転車を漕ぐ。ゆらゆらとブレている。分かちがたい何かに後ろ髪を引かれるように、脳裏で橙が瞬いていた。
アトリエに向かう登り坂の途中で、大きな流れ星が視線の先に伸びて行った。かたや僕は、重たい体をえっちらおっちら引き上げるように、ペダルを漕ぐ。あちらはこの星の中心へ、真っ直ぐ吸い込まれていき、こちらは重力に逆らって、じたばた抵抗している。
けれどもどちらも、初めからそうだと決まっているし、それを知っている。今この瞬間の出来事であるし、遠い過去から決められていたものでもある。私たちはそれをただ感じることしかできない。星空…木々や山々、水辺には決められた出来事のすべてと繋がるものが宿っている。それは人の尺度に収まらない。古風な言い方なら、神の領域に属している。
いくつかの経験が一枚の絵になり、
何枚かの絵がひとつの展示になり、
複数の展示がひとつなぎの叙事詩になって謳われるような
何も無いごちゃごちゃの状態から、あるひとつの姿に定まるための組成を行うかのような
あるいはその逆行をしているような
思い返せばはじめから、アートというほど広い範囲には関心は無かった。
あくまで絵を描くということで、考えたい。
彫刻にしても映像にしても写真にしても演劇にしても踊りにしても音楽にしても、それが絵にとってどんなものであるかを考えている。製品でもレディメイドでも、パフォーマンスでも概念芸術でも、言葉にしても、私にとっては絵画のための肥やしだ。どうにも、絵は人を必要としない気がする。絵は言語ではなく、記号でなく、意味ではないように感じる。人は絵に関心があるが、絵は人を必要としない。いつでも絵は他の絵を必要としている。
私の意見や私の意思を作品に込めて、何になるというのか。
ここから先は、恐ろしい旅。
いいや、それは初めから始まっていた。
ほんの一瞬、束の間だけ、理想的な形で、生命を完成させるために進む旅。
そのための大きな道程。
隠された秘術によって、ことわりを理解する道のり。
驚くべきことに、私たちの手元には何も残っていない。
江戸時代と現代の間には接続なき空白が横たわっている。もはや私たちは0から再構築する他ない。
その都度真剣に取り組んできたつもりだったけど、自分はまだまだ絵描きの最初のほうにいる人間だなと、近頃感じる機会が多い。
画材についての知識も、技術的な面でも未熟を感じる。絵のあるところへ出てみれば、世の中にはいい作品をつくる作家が山ほどいる。
2012年の卒制が不完全で、2015年の初個展を作った。それをきっかけに空間表現に展開した2020年の2回目の個展があった。
最近また、空間表現だった初個展を絵画としてリメイクしたいと思いはじめた。
こうしてみると、自分の目的は初めからずっと変わっていなくて、未だに何ひとつとして達成していないということがわかってきた。
絵は遅いメディアだと思っていたが、絵は止まっているメディアのように思えてきた。過去現在未来の区別なく、すべて同時に止まっている。
出来ることだけやる、みたいなことにはなりたくない。いつだって、自分の求めるものに向かって、やるべきことをしたい。
新しいもの、未知のものを厭わないでいたい。
絵を描く年齢に、早いも遅いも無いと思う。
しかし、早く世間に認められたから辿り着ける場所はある。早く売れたから、長く続けることができるということも。
でもやはり、年齢やキャリアは関係ない。そのとき、その境遇だから描ける絵しかない。
価値のある絵しか描けないことが、ときに哀れなこともある。
2022.August
画家とは労働ではなく生き方。
認知されて活躍している人は、やはり絶え間なくやり続けている人だ。凄い/凄くないではない。たとえ拙くとも、続ける人間が本物だ。私は、20代の多くの時間を自堕落に過ごした。画家としての私はようやく始まった。しかし、描かなかったあの頃が、描く今を支えている。
作風を作ろうとするのではなく、
表現したいものを追求することで結果としてできる作品群。画家は、売り出し方を考えはしても、売り出し方のための作品は作らない。意義や効能のために作られるのではなく、生まれるために生む。
映画をみるとき、物語の世界に没入するか?
それとも物語の背後にある構造の骨組みを観察するか?はたまた製作者の存在に気付くか?
なぜそれが描かれるのかをずっと確かめようとしている。描かれるそれが、自分にとって何であるかを。繰り返し反復して考える。絵を描くことはまるで、外見はぼうっとしながら、体の中では嵐のように考えが巡る…そんなときのようだ。
だからなるべく、絵が売り物であるとか考えない。ずっと残そうなんて思わない。絵は走り書きのメモのようにあればよい。絵は泳ぎや自転車の練習のようなものでいい。ずっと必死だ。諦めず、できるようになるまで続けるしかない。それが他人にとってどうであるかなんて、不純なことは考えない。
ずっと揺れてるし、ずっとブレてる。
迷い続けている。
決めつけてしまったら、不誠実な気がしている。
私の現実、私の世界を、他所者が破壊しに来る。私の真実、私の悲劇を他所者が歪曲しに来る。他者の存在が、私の領域に干渉する。
サンスベリアを描く。葉1枚1時間かかってる。毎回描き方がバラバラで、下手くそだと思っても描く。気長に描く。どこかでかじってしまった、知ったふうな理屈を駆使していると気づいて嫌気がさしても。面倒を感じてはやく終われと思っても、我慢して。
私は全然壊れていない。時間を忘れて狂ったように描き続けるなんてことは無いし、寝食を削って絵に身を捧げることも無い。
美術や絵の世界で、戦ったりするつもりは無い。どうなるものでもない。
しかし、生きていくために絵を発表すると、渦中に巻き込まれるような感覚がある。
何も生まない、何も作らない、楽して金が稼ぎたいだけの人間がいる。そのくせ搾取の構造作りだけはせっせと頑張る。
本当は、絵が上手くなるということは無いのかもしれない。
なんというか、この先に上手い人になることはあるが、努力して上達するということは無いように思う。
上手いという位置というか、そういう場所はあるから、そこに辿り着くことはあるだろうけど。それは自分が高い技術を得るということでは無いように思う。
絵は捕らえるのが上手いかどうかという感じ…
絵を描く動作というのは作業であって、絵を形作る過程として、制作の大部分はその作業ではないところにある。
今日は頭がぼうっとする。
アトリエに、向かうことが大切だ。
絵の前に立つことが大事だ。
自分の時間と体力を捧げることだけが、唯一出来る、すべてだ。
空腹で集中できないことへの苛立ち。
満腹で集中できないことへの不安。
本当にやりたいことがある時に抱く。
高い水準のものを作ろうとは、もはや思っていない。作りたく、故に作る。
現世に対して特に不満は無く、概ね満たされている。私自身はとても豊かである。
ただ自分を残して居なくなっていく者たちへの寂しさがある。
受験生には合格のために目的を持って描けと言うが、自分自身は描いている時点でもう十分なので、目的を持って描いたりしてない。
2022.September
ずっと、眠っているみたい。
夢の中に生きているよう。
今年は痛風や歯痛でとても苦しい思いをしているんだけど、それもどこか遠く遠く、現実という模型を外からひょっこり覗いている。
私は無理をしたいとは思わない。
私は高みを目指していない。
私は、私の持っている力を発揮したい。
これは生まれてから死ぬまでの間に私にさだめられた能力であり、果たさなければならない約束だからだ。
私にはやらねばならない仕事がある。
意思ではない。信念や、欲望によるものではない。さだめだ。すでに決まった未来から過去へと貫かれた一本の矢の軌跡だ。
白馬は思い出深い地だ。
中学、高校、大学生と、都合3回スケッチに訪れた。美術部での夏合宿。白馬村の河原から見上げる白馬岳を描いた。藁葺き屋根の残る限界集落にお邪魔して描いた年もあった。
4泊5日の行程のうち、3日は絵を描く。
途中1日は、山を歩き大雪渓に行く。
当時は美術部の合宿でなぜ山登りなのだと思ったが、いま振り返れば当たり前のことをしていた。見て描く上で、その山がどのようなものであるかを知ることは大切なことだ。
夏でもまるで冷蔵庫に入れられたような涼しさの雪渓。からだで観る、あの険しさ、あの雄大さが絵にあらわれる。
まるでよく知った人の肖像画を描くように、あの山々に畏敬の念を抱きながら、ああ、この筆で自分はもう一度あの雪渓を歩いていると感じながら、今はこの河原で、夏の日差しに焼かれている…。そんな体験だ。
僕たちは記憶そのものを描いていた。いま目の前の山を描きながら、同時に山歩きをしていた昨日の自分を描いている。脳裏に3年前に同じように白馬にいた自分が蘇っている。思い出が幾重にも折り重なってできた、景色を描いている。それは自分自身の姿に違いなかった。絵とはそういうものだった。
だから今、僕はそういう絵が好きだ。そういう作品が好きだ。作品がそのもの自分になっている作家が好きだ。歴史に残るかどうかなど知らない、どうだってよい。人が人であること、孤独なこの宇宙で、自分も同じ人であること、その安らぎを与えてくれるものが好きだ。この広大な宇宙で、あなたという懐かしい景色に出会う、そのために絵を描き、そのために絵を見ている。思い出が立ち上がり、ひとつの絵になり、それを追いかけてひとつひとつの筆致が積み重なる。その時、あらゆる経験は、あらゆる知恵は、あらゆる技術はそのために培われたものになる。
誰かのからっぽの器に響くその孤独な音を、遠く聞いている。僕は僕のからっぽにも同じような音を立ててあげたいと願い、懸命に心をふるわせている。
形の無いものが形になる。
区切りのないものが区切られ、認知される。
絵の具には不思議な性質がある。
ここ最近の自分が描いた絵がぜんぶ最高だし、以前は全然興味が無かったような古い巨匠たちの絵がどれも最高に良く感じる。
気分よく描けてるのはすごくいいが。
本当にものすごくいい感じになってきているのか、それとも展示前で感覚が馬鹿になっているのか、それが問題だ。
伝わらないと意味ないとか、意味ないもの作っても無駄とか、美大で言われることあるあるだけど。
(自己満足で制作するなら、大学なんて来ないでずっと家で作ってればいい、とか。)
もうそれでいい身分なんだから、何を気負う必要があるのかと。
たとえ感覚のほうが世間とズレているのだとしても、いま自分でいい感じならそれでいいんじゃないか。
みんなに伝わって、歴史に残る意味と価値があっても、それで自分がよくなれないなら、作る必要がない。
いざ絵が完成してみると。
絵が寄ってくる、絵がやって来ている。
そういう感じがする。
絵は「上手くなって、高いところへいって、最高の一枚に辿り着く」価値観の世界もあるけど、「生まれから老いて死ぬまでの間、その時々に描けるその時の絵がある」ものでもある。紙や布や壁は、絵が描かれる場所であって、絵画は描かれた痕跡なのだから、私たちが見て感じているのはその絵画が背負っている過程とか流れそのものだ。野球の試合観賞、格闘技の勝敗が決するときも、ニ時間のコンサート、バレエの跳躍の一瞬も私たちは人生を見ている。そこでは成熟だけが価値ではないし、若さだけが魅力でもない。敗北や挫折、未熟もまた美しく、あはれだ。