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⽯神雄介 個展「追憶の宮殿」に向けて    靖⼭画廊2025.9.8.-9.19

詩⼈・⾔語聴覚⼠  川㟢雄司

 よく知っているとは、どういうことか。例えば、もっとも⻑い⽉⽇を共にしているはずの⾃分⾃⾝をどう表せるだろうか。あなたは、あなたのことをよく知っている、と躊躇いなく⾔えるだろうか。私にはなかなか難しい。それは、⾃分のことは⾃分が⼀番よく知っている、という⽂句に対する斜に構えた態度からくるのではない。ただ忘れてしまうからだ。覚えていられない、という⽅が実際に近いだろうか。私は何より感覚主体であるので、周囲の環境を知覚して常に循環・更新していくから、その全てを覚えておく、つまり説明や記述が可能な状態にそれぞれを維持しておくということは⾄難の業なのである。

 

 記憶というものは、学習と結びつく。⼈類の脳は⼀際⼤きいが、どの動物にも記憶は重要である。あそこに餌がある。あそこへ⾏きすぎると危険。そうした情報の積み重ねは共有され、引き継いでいかれなければ死んでしまうので、根源的な機能だ。それは何度も何度も繰り返され、意識には上らずとも⾝に染み渡る。

 

 1953 年、てんかんの治療⼿術の影響で重度の健忘症になり、特に新しいことを覚えられなくなったH・Mというイニシャルで知られる患者がいる*。こんなエピソードでも有名だ。⼿元が直に⾒えない状態で鏡写しに星をなぞり描かせる。最初はうまくいかないが、H・Mは次第に上⼿くなる。昨⽇もやったという事実などつゆとも知らずに描くのだが、描くたびに上⼿くなるのだ。これは運動の記憶が保存される場所が、海⾺に代表される記憶の回路ではない別の場所にあることの証左だった。運動のパターンは学習され、⾃動化されていく。

 

 ⽯神の絵には季節がない。朝もなく、夜ばかりがある。それはやはり、彼が眠っているからに他ならない。制作の時間のほとんどが夜であるからばかりではない。彼の意識は外へ向けた知覚更新をやめ、内へ向かう。それは⼟台無理なことだが、絵が助けてくれる。描かれつつある絵が、知覚を更新しながら彼の奥深くを反射し続けるからだ。眠らなければ⾒えない。幾度となく通り過ぎてきたあの場所。繰り返し⽴ち尽くしたあの光景。棲みついて失われないほんのわずかな瞬間。明確な⾃覚もないぼんやりとした、しかし確かな記憶を追いかけて、絵の助けを借りながら⽯神は彼を学習する。だから個展タイトルの「追憶の宮殿」は、実のところ彼のスタジオのことである。またそれは彼の⾁体に根ざした精神を包む魂のことである。そして彼の学習の成果物である絵画作品が並ぶ展⽰会場は、彼を追憶する宮殿になる。⽯神の初めての個展*が⽣前葬に着想されたこともまたここへ響く。

 

 精神科医の⽊村敏か中井久夫だったと思うけれど、ヒトは互いの精神の交感によって⽣まれるものを⽣命とする⽅向へ進まなくては駄⽬だ、という内容の発⾔が対談でなされていたのを読んだことがある。してみると、AIは、あれは精神ではない。記録容量としては秀逸だが、運動がないからだ。だから記憶でもない。あれらの⾁体はどこまでも私たちが担うのだが、いかにチューリング以降、機械の応答が⽣⾝の⼈間と感得されても、それが新しく⽣命とはならない。あれらは糞もしなければ、時間も解しない。やり取りの挙句、AIを神として崇拝したり、⼰を神としてみたりするヒトが出始めたことがニュースになっていたが、あれが学習を放棄した姿でなくてなんだろうか。

 

 ⽯神の絵の、尾を引いて流れ去り続けるような絵の具の層は、精神の地層に等しい。応答は液晶の情報更新ばかりではない。絵は眺める者に応答する。眺める者の記憶に呼応する。⽯神が絵にしている⾵景は、彼に呼びかけるものであるし、話しかけてくるものである。スタジオで反復されて純度の⾼まったその作⽤は死ぬことがない。それは魂を育む。魂とはなんなのか。それは「私」の⽀柱である。追憶の宮殿に棲まうのは、「私」という⼈称を出⼊りする、⼈類の総体だ。だから、彼の絵はいつもどこか懐かしい。その向こう側には常に「私」の変奏としての「あなた」がいる。懐かしさは絵の原⾵景に還元され、また何度となくその⾵景を⽯神は往き来する。そうして彼は画家にさせられていくのだ。

 

 私たちは、私たちがなんであるのかを、思い出さなくてはならない。私たちはそれを、よく知っているはずなのだ。それには助けがいる。それは絵の形をしていたり、ヒトの形をしていたり、⾵景の状態だったりする。それは記憶の総体として、さらなる記憶を学習し続けることで思い出されていく、記憶の将来でもあるはずだ。

 

 

2025.09.08

⽂責:川㟢雄司

*スーザン・コーキン「ぼくは物覚えが悪い 健忘症患者H・Mの⽣涯」鍛原多惠⼦訳、2014、早川書房

*「頂上への沈降」2015年、船橋市⺠ギャラリー

 

 

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