個展「追憶の宮殿」 2025.9/8 - 9/19

石神雄介 個展
追憶の宮殿
2025/9/8 - 2025/9/19
11:00-19:00 (土・日・最終日は17:00まで)
作家在廊予定 9/8、9/12~9/15
靖山画廊
東京都中央区銀座 5-14-16
銀座アビタシオン1F/凸2F
一日の仕事を終えて帰途につき通り過ぎる景色の中で、ふと目に留まる建物があります。どんな人が住んでいて、どんな出来事が起こっているのだろう。私は勝手な想像を膨らませます。しかしその空想の材料は、私の人生から得た知識と感覚です。私は結局のところ、目にした光景を契機にして、私の記憶を材料に、私自身の在り様を、様々な形で造形しているに過ぎません。
(―――星のない夜、ぬるい風が吹き、足元で草むらの揺れる音が聞こえている。見上げると坂の上には、あるじの居ない捨てられた邸宅が、白亜の壁で輝いている。あの尖塔に吹く風はどのような音で響いているのだろう。かつての日々のままに調度品が残る廊下を、いつか聴いた音楽が流れ、満たしていく。―――ヴェートーヴェン、スメタナ、ワーグナー、ラフマニノフ…―――いったい誰の記憶が呼び起こされているのだろう。何が私の胸を締め付けるのだろう。幾年の星霜を経て、空間も音楽も人々の記憶に引き継がれてゆく。私の心の中にも、大きな絵が掛けられている。それは時代を継なぎ、次代に火を灯すことを願っている。)
「我々は夢と同じ材料で出来ていて、我々の小さな生涯は眠りで囲まれている」(シェイクスピア、"テンペスト")
シェイクスピアのこの一節から、私の脳裏には以降の様々な芸術家たちの仕事が想起されます。
それは夢、記憶、建築-私たちの人生の構造、そして社会という構造体についての探究です。連綿と続く、巨匠たちの探究の流れを、折に触れ意識します。
あの日いた場所も出来事も、あの時流れていた音楽も、いずれ全ては記憶の中だけの存在になります。しかし同時に、長い年月をこえて、幾世代もの人々の記憶に残る作品があります。それがなぜ、どういうことなのか、私たちの興味は尽きません。
私たち人類はそれぞれ、自分の身近にある異なる素材から、いつも同じようなものを作ろうとしているようにも思えます。写真、動画、記述による記録、スケッチ、ドローイング、対話…対象に近づいたり、遠く距離を置いたり。絵を描くために、私は事象を様々な方法で捉えようとします。そうやってあらわれるのは、現実と、事実と、そしておそらく真実との、ズレと違いです。最終的に私は、私のイメージだけを頼りに絵を描こうとします。夢や空想がいつしか現実のものになるように、イメージと絵の具を材料に、理想と現実との摩擦の中で絵画が成されていきます。
私はいつも、私というものの現れかたを、絵を描くことで知るのです。