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  先生の絵

 

 


校舎の端には古い大きな扉があって、廊下のにぎやかな空気がそこで途切れるようにぴたりと止まる。扉を開けるとまったりとした亜麻油の匂いがする。打ち捨てられたように雑然と画材が転がっている廊下を進むと、ガラス扉の先には小さなアトリエがある。その小さなアトリエに、一枚の美しい絵がある。油絵の具と木炭の粉で磨かれて、鈍い光沢を湛えながら真っ黒に輝いている。

 


ピン、と張りつめた空気の真ん中に、先生がいた。
 

先生は、教室に立つ教師だったことなど一度も無かった。
いつも先生は、画家以外は呼吸することを許されない真空のアトリエに立っていた。
だから私たちは息を飲んで、そのアトリエに木霊するような言葉を聞いていたのだ。

 

先生の口から漏れ出てくるのは、この世界の裏側、書き割りの裏にある、謎めいた言葉だった。

先生は「意味」というものをよく知っていた。それがまるで役に立たない世界を知っていた。
先生はゆっくりと言葉を教室に置いた。それはさながら、画家が絵の具をたくわえた筆先を、少しの震えを伴いながら、しかし明瞭な意志でもって画布に置くようだった。先生の言葉がぽつり、ぽつりとアトリエの中に落とされると、それに促されるように私たちは真っ白な画用紙に向かって目を凝らした。緊迫した動作のあと、私たちの前にはいつの間にか絵が現れ、そしてそれが、少し前の自分の痕跡であることに気づかされるのだった。

 


放課後の美術室には真新しい空気が漂っていて、私はひとり。台の上には空き瓶と、白い布と玉ねぎ。もらったばかりのスケッチブックに、自分で削った鉛筆をのせてゆく。美術室と準備室の間の扉は開けられていて、奥からは小さく静かなジャズ・バラードが流れていた。あの日、美術室の大きな窓から差していた暖かい陽の光を、覚えている。何の変哲もない、台の上の ガラクタ たちがまぶしく輝いて、私は見ることの美しさを知ったのだ。それからはその光をひたすらに追いかけて、追いかけて、追いかけているうちに、ここにいる。

 


私は小さなアトリエで産声をあげた。色とりどりの絵の具がこびりついた、古い画架が私の分娩台だった。先生はそこで産婆をしていたのだ。自分という存在が、見る行為と絵とともにはじめて発生した。私はいつしか、真空のアトリエで呼吸をすることを覚えた。

 


「美術部に入るといい」

 


先生は知っているだろうか?
ぽつりと先生がこぼした言葉が、どれほど私の胸を高鳴らせたか。
あの透明な部屋に満ち満ちた、絵が生まれる予感を、私ははっきりと覚えている。

 


あれから幾度となく、挫折を覚え、道を見失い、絶望を感じてきた。時代の中には淀んだ空気が漂い、私たちは頼るものも無く打ち捨てられている。けれども静かに目をひらき、光をつかむとき、あの真空のアトリエは現れるのだ。真新しい透明な空気が流れはじめ、いろ や かたち が ことば と遊びをはじめる。それは確かに、現実の姿だ。私たちが忘れてきた、偽りのない現実の姿だ。

 


そのアトリエの床は、油絵の具と木炭の粉で磨かれて、鈍い光沢を湛えながら真っ黒に輝いている。長い長い年月の中で、先生が手をかけて描き上げた一枚の絵がそこに横たわっている。
ゆっくりと、絵の具が重なり合い、先生の言葉のひとつひとつが沈み込み、私たちはそれを踏み固めてきた。

ここにある崇高な静寂は、そうして出来あがったこの一枚の美しい絵が生み出している。
私が出会ったのは、そういう絵だ。
きっとそれは空間であり、時間であり、雰囲気であり、記憶であり、想いであり、意志であるようなもの。


絵は失うことはできない。

ここにある、美しい絵。

いま、まだ、なお輝きを増して。

2018/3/1

創立50周年記念誌

千葉日本大学第一中学校/千葉日本大学第一高等学校

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