INNER DRIVE 2023.9/15-9/24 Gallery Blue3143
夜空に浮かぶ星を結ぶ。
星座早見盤を片手に僕は思う。
この星座の姿形のために、星々は配置されたのだろうか?
…違うことは分かっている。みんなが違うと言うであろうことは分かっている。
それは馬鹿げた考えだろうか。しかし、常識はむしろそのような馬鹿げた考え方によって形作られているように思う。
願いや祈りは、ときに現実の法則を無効化して、時間の流れを逆行させる。
僕が見上げた夜空に、
星々が配置され、物語が星座を紡ぎ、意味を成して、瞬いている。
どうしてかそれらはそこにある。
これが人として生まれた僕の現実。
いつしか僕は自分が自分のものではないと気付いて、人は何か自分以外のもののために生きていると思い始めた。
きっと本当に人の為になるものは、
献身と愛から来たるものだ。
絵を描くことは、個人の欲望では為されない。
私が存在することの因果、この身の内にある宿命が、この身体の時間と空間を使って、絵を描かせている。
絵はまるで、それが崩壊した状態から時間を巻き戻し、組み直されていくかのように生まれる。
一方で運命に抗い、また一方で運命に身を捧げる。
僕が描いているのはずっと私信で、
この世界へのラブレターなのかも知れない。
それは不可能に見えても、
倫理から外れていても、
理屈に合わなくとも、為される力。
インナードライブ、
内なる原動力。
作品解説
INNER DRIVE
ある折、池上秀畝の「夕月」を目にして、その美しさに感嘆した。画面の中に配された鹿や草木、峰の稜線が、伸びやかに空間の広がりを感じさせる。私は以前から山水画や屏風絵への関心があり、自分が扱う油絵でその領域に踏み入りたいと考えていた。
私は大学以来ずっと取り組んできた夜の風景をモチーフとした仕事に、三幅対+1枚の構成をとり、個展のハイライトとなる作品の制作を試みた。三幅対という形式を選ぶとき、私の頭にはヒエロニムス・ボスの「快楽の園」や、フランシス・ベーコンの存在があった。画面の構成において鳥瞰図的な視点と異時同図法的な時空間の跳躍を用いる為に、「夕月」の空間のイメージを参照した。
タイトルのインナードライブとは物事を成し遂げるための、個人に内在された宿命的なエネルギーの事を指す。私はこの作品に胎内巡りのようなイメージと、それが自らの宿命を受け入れるための道のりであるという感覚を覚えた。この無意識のうちに私の中に生まれた仏教思想的な題材の絵を、油絵を使って描くという時に、宗教画における三幅対を意識することになった。
三幅対という異なる3枚の絵による組作品。しかし題材は神話ではなく、現在を生きる私の魂の道のり。そして構図の上では屏風絵や山水画で用いられる空間表現や、尾形光琳の「紅白梅図屏風」のように、うねるような曲線で画面を構成する。
偶然によって生まれた星々の配置に、物語と意味を与え、永い時の中に在り続ける星座という概念が、人間の命に与えられた因果と宿命に重なる。
流星群The feeling of falling(仮想の星座を逆さに見る)
ある日、湖畔にドライブに出た。
その日はよく晴れていて、空いっぱいに星が見えた。風はなく、水が張られた田んぼは鏡のように夜空を映していた。
公園のベンチに寝転がって頭を垂れてみた。景色が逆さになって足が浮くと、まるで夜空に投げ出されるような感覚がした。
天地が逆になっても、見慣れた星座は分かる。足をぶらぶらしながら、しばらく宇宙遊泳みたいな感覚を楽しんだ。
あのときから時が経ち、湖畔は幾つもイメージを蓄え、私も幾つも出会いと別れを繰り返した。私はその都度溺れ死なないように必死で手をかき足をかきしていたが、振り向けば宿命というレールの上を進ませているのだった。